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トニセン『戸惑いの惑星』DVDを購入した感想と考察

2018年2月14日に、トニセンこと 20th Century の舞台DVD『TWENTIETH TRIANGLE TOUR 戸惑いの惑星』が発売されました。

 本DVDは2017年1月21日~同年2月26日に、東京・福岡・大阪にて公演された舞台(以下、TTT)を収録した内容で、発売日の2月14日は東京楽日から丁度1年が経っております。
 恐縮ながら私も1月24日の公演を観劇致しました。


 今回《初回生産限定盤》《通常盤》の2形態がリリースされました。

《初回盤》には特典のCDが付属し、TTTにて使用されたトニセン曲がすべて収録されおり、TTT用に書き下ろされた新曲『Change Your Destiny』(以下、CYD)が新たにレコーディングされて収録に至っています。
《通常盤》には『話が逸れまくりの鑑賞会』と題された、トニセン3人によるオーディオコメンタリーが副音声として収録されております。

 どちらの形態にも『字幕ON・OFF』機能が付いており、こと《通常盤》においては副音声にも字幕設定が付いているという至れり尽くせりな仕様です。手間を惜しまなかったスタッフさん、本当にありがとうございます。
 私はまず字幕有りで本編を視聴しましたが、SF的な用語や引用が連なった長いセリフが大変多いので、字幕という文字で説明されると大変分かりやすかったです。
「百聞は一見にしかず」とは正にこの事で、私は一度しか観劇しなかった関係上、聞き間違えていたり聞き飛ばしてしまっていたセリフが多々あった事に気付かされました。字幕を読むことで解釈が深まり、更にストーリーを楽しめたことが本当に嬉しい。
 音声字幕は聴覚に障害をお持ちの方がバリアフリーに楽しむためでもありますが、このように利用してみてはいかがでしょうか。

 
 さて私はこの2形態どちらも予約購入しました。
 店舗にて購入者に先着配布されるポストカードも、しっかり2枚頂いております。

 まずTTTのストーリーや内容のネタバレではなく、両盤を購入した感想を書きます。
「TTTを観劇していないしDVDを自分で見るまでネタバレは見たくない。でもどちらの形態を買えば良いのか迷ってる」と言う方も、今しばらくお付き合い下さい頂けますと幸いです。(参考になるかどうかは別ですが……)

 

 両形態を購入した感想を一言で言うなら、どちらも購入するべきです。

 ただ付け加えるならば、ファンとしての満足度としてはどちらかと言うと《通常盤》の方が高く、それでも《初回盤》はTTTの内容が好きならば絶対購入すべきです。ド新規ファンながら私はそう感じました。

 両形態の説明は上記に致しましたが、付属して記載していきます。

 

【初回盤】

 収録曲は先にも挙げましたが、CYD以外の曲はトニセンの既存曲であり、特典に収録されているのは劇中で使用されたアレンジバージョンではなくCD音源のものです。
 ですのでこのDVDから初めてトニセンに入る方にとってはこのCDが大変ありがたい存在となりますが、往年のファンにとってはCYD以外に新鮮味がありません。その場合CYDに通常盤より1,500円余計に払う意義を感じられるか、私には想像することしか出来ません。

 個人的に好きな劇中アレンジ曲は後のネタバレゾーンに記載しますが、どれも非常に素敵なアレンジで心の琴線に触れるほど素晴らしかったので、すごく勿体ないと感じています。
 特にCYDのオルゴールverが入っていたらもう言うこと無しだったと思います。シークレットトラックでも良かったので入れて欲しかった……(´・ω・`)
 このような内容だったなら、あと3,000円は上乗せされていたとしても飛びついて買ったと思います。(今回も割と早めに予約して購入しましたが、心理的な部分で)

【通常盤】

 対してこちらのトニセンによるオーディオコメンタリー副音声は、期待通りに爆笑しながら聴けてとっても楽しかったです。
 公式サイトにて副音声の試聴が出来るという神対応だったので発売前に聞いてみたところ、まぁ予想通りに話が逸れている。しかも視聴時間が結構長いのでちょっと笑いました。実物はどんだけ逸れてんのかと。
 ……と聞くと「真面目にやれよ!」と考える方もいらっしゃるかと思いますが、そこはトニセンクオリティ。逸れていても飽きないほどに面白い。むしろもっと逸れてるかと思っていましたw

 しかし逸れまくった話の中に、ポッと飛び出すように出てくるTTTの裏話や裏設定に「マジかよ!?」となったので、このストーリーが好きならば聴いて損は絶対にないです。
 逸れているお話もほとんどが3人で共演した過去の舞台のことについてなので、3人がこれまで舞台に対してどのように取り組んできたのかとか、主にイノッチの破天荒っぷりを知らない人にとってはこちらも「マジかよ!?」となる内容です。

 

 

 *


 以上を踏まえて『最近トニセンを好きになったから直近の彼らの舞台を見てみたい』『CYDが好きだからもう一度聴きたい』という方は《初回盤》を、『元々トニセンファンだしあのユルいトークが好き』『TTTの裏話や裏設定を彼らの口から聞きたい』という方は《通常盤》を個人的に勧めます。
 ……が、どちらにも当てはまる方が多いと思いますので『どちらも購入』することを第一にオススメ致します。

 

 何より、坂本くんが出演した舞台がこうして映像化されることは大変珍しいらしく、ご本人も副音声で「自分の舞台のコメンタリーは初めてやった」と語っておられる程です。ミュージカル業界お墨付きの坂本くん舞台作品を自宅でも楽しめるなんて……!

 もちろん坂本くんだけじゃありませんよ!長野くんとイノッチも素晴らしいです。長野くんは専門用語たっぷりの早口かつ長セリフが大変多いのにミスをしないし、イノッチも演技がお芝居臭さのない不思議な自然体で引き込まれ、三者三様の魅力が舞台で光っています。何より3人の歌のハモリが極上。生で聴いて耳が幸せってこういう事を言うんだなと感じました。

『実力派』だなんて表現が生易しく感じるほど、3人は表現力の暴力で観ている者の感情をこれでもかと殴ってくる。何といいますか、基礎が大変しっかりとされているのか、歌も踊りもお芝居も観ていて不安がまったく無い。それって改めて思うとすごい事なんだな、これがプロなんだなと実感します。

 そこに加えて今回新たなことにもチャレンジしているので、その一部分だけ「と、トニセン頑張ってる~!」という気持ちになれたり、観客を笑わせるようなお芝居も大変上手なので緩急もあり、全く飽きません。

 練りに練られたストーリーや小道具を駆使した演出、そして楽曲もミュージシャンの方達による生演奏で1ミリも妥協されていないです。裏方さん達も大変素晴らしいお仕事をされています。

 贅を尽くした煌びやかなゴージャス感はありませんが、生で観劇してヒシヒシと感じた「トニセンすげぇ!」という純粋な感動と、トニセン3人の人物像と既存の楽曲を合致させて緻密に綴られたストーリーの最高なハーモニーが、このDVDでも十分に味わえますので大変オススメです。

 そしてCYDは今回CD初収録かつ《初回盤》にのみ付属している楽曲ですので、店頭に在庫があるうちに購入しておいた方が良いと強く感じます。CYDはそれほどの名曲です。

 

 

 *

 

 さて、以下からは本編のネタバレを含みます。

 ネタバレを回避したい方、加えましてド新規かつド素人な考察まがいの感想が苦手な方も、これ以降の閲覧をご遠慮下さい。
 私自身、観劇1回DVD3回(内1回副音声)という少数回を観た中でこちらを書いておりますし、自分の考察や感想が100%正しいとは思っておりません。
 このDVDを観て私が感じて考えたことを拙いながらも残しておきたくて書いておりますので、現時点で他の方の感想や考察は拝読しておりませんし、ちがう解釈や意見に対しての批判や主張は一切含んでおりませんので、何卒ご理解のうえ閲覧頂きますようお願い致します。

 

 そして何よりDVDをお手にとっていない方はまず公式サイトにて楽曲や副音声の試聴をして頂きつつ、CDショップまたは通販サイトにてお買い求め頂ければと思います。(エ○ベさんの回し者では一切ありませんし、関係者でもございません)
 ただ純粋に、まだTTTをご覧になっていない方が以下のネタバレをお読み頂いても恐らく意味不明だろうと思っているだけですので、どうかまずはご自分の目でお確かめ下さい。

avex.jp


 以上をご理解頂いた方は、以下の「続きを読む」のリンクからどうぞ。
スマートフォンから閲覧されている方は、そのまま表示されております)

 

 

 

 



※中には副音声の情報も含まれておりますので、再度ご注意を。

 


 まず最初に述べておきたいのが、DVDを購入して本編を一通り観てから1年前に書いた自分の観劇レポ(と呼べるのか……?)を読み返して「ぎゃあああごめん違う!ホントごめんなさい!」と顔を真っ赤にしました。ホント恥ずかしい……(´;ω;`)
 観劇時の席が『2階下手の見切れ席』で全く見えなかったシーンがあった事と、『初めてトニセンを生で目にして大興奮』だった精神状態もあいまっていたので、余計に記憶があやふやだったのでしょう。聞き取れていなかったり聞き逃して勘違いしていた箇所が多々ありました。
 観劇時には繋がらなかった意味がようやく理解できたりして、それを踏まえた上で上記のレポ紛いの記事は10%くらいしか合っていなかったことになります。
 そんなものをネット上にアップしていたと思うと恐ろしい限りですが、たった1回の観劇で100%理解できるような生易しい内容のストーリーではなかったのだなと、副音声を聞いて若干安心できました(それにしても私のレポはヒドいけど……)
 幾重にも張り巡らされた複線や意図には何回も何回も見聞きしないと気づけないことも多く、DVDで本編を1回見ただけでは「あ、ここでこう言ってたんだ!」くらいしか気付けなかったので、ストーリー考察をひとまず置いておき、とりあえず観劇時に気付いていなかったことや感想からまとめようと思います。

 


 DVD化で何よりも嬉しかったのは、柱でほとんど見えなかったバーのシーンが見られたこと……!
 話している内容は聞こえても、何をやっているのかは当時まったく分からなかったのでバーのシーンは会話が耳からダダ滑っていた事が判明。イノッチがバーテンのマスターとして出ていた事に気付いたのも、Sing!が流れて踊り出してからですし。
 三池がバーカウンターから立ち上がって彼女のことを話し出す時の、酔っている演技から語り口調になった切り替わりの瞬間を見て、ありきたりな表現で申し訳ないですが「うわっ坂本くんすごい!」と感動しました。
 2階にある楽器隊さんたちの部分もまったく見えていなかったので、ああこんな風になっていたのだなぁと。
 あとこの座席位置でと言えば、バーのトイレを開けた一度目の光が、直線上モロ目に入る場所だったので「ギャァ!」となった記憶が蘇りました……。この後目が眩んだのと動揺でしばらく脳内の記憶が無いです(;´Д`)
 でもこれ逆サイドの上手側はトイレの中が見えなかったのだろうと思うと、席も一長一短ですね。ちなみにこの席で見えた部分もあるので、これは後のストーリー考察に加えたいと思います。

 

 一番驚いたのが、三池に『三池蘭次郎』というフルネームがあったこと!
 三池が「俺は、三池、蘭次郎」とハッキリ言っているシーンがあったのですが、その後の「みんなにミケランジェロって呼ばれてた」という事ばかりを記憶していたようで、三池のことを『わざわざミケランジェロというあだ名を強調して自己紹介する人』というイメージでした。自分の事を例え他人に付けられたあだ名だとしてもミケランジェロと言えるなんて、三池は自分の絵に関して非常にプライドが高く肯定感が強い人だなと。
 そしてハセッチこと長谷川のフルネームは『長谷川幸彦(ユキヒコ)』だったんだぁと。私の視力ではあのベッドにあるネームタグは読めなかった……。副音声でイノッチが長谷川和彦監督の作品が好きということが名前の由来である事も加えられています。
 あと劇中「彼女」としか表記されていなかった彼女に『サエコ』という名前があったと副音声で語られており、ここにも「マジかよ!?」となりました。さ、サエコって言うとガコイコの彼女が頭に浮かんでしまうのですが……むしろそれを狙った?

 

 それと1年前の観劇後にパンフレットを見て「劇中で歌ってたの、こういう曲名なんだ~(ド新規の感想)」と思いながら、収録されているトニセンのアルバムを調べて購入したのですが、再生しても「……あれ?こういう曲だったっけ……?」と戸惑っていた理由も発覚。

 めっちゃアレンジされてんじゃん!

 そしてこのアレンジが好みだった事にも気付かされ、余計に「あ~こっちも特典CDに入っていたらもっと嬉しかったかも……」と思ったのです。
 個人的に劇中のアレンジ全曲好きなのですが、中でも『不惑』『ちぎれた翼』『Dahlia』が好きです。特に『Dahlia』のジャズっぽさというか裏打ちとカーテンコールの明るさがすごいツボで……!(だから余計原曲に気付かなかったのですが……)
 もちろん『オレじゃなきゃ、キミじゃなきゃ』の原曲とは真逆に葛藤した雰囲気や『Sing!』の三池に訪れた春の陽気な心境をミュージカルスター調に描いたハッピー感、『days -tears of the world-』のクライマックスで感情が溢れ出たシーンのしっとりとした感動も、全部好きです。CYDに関してはリプライズの方も甲乙つけがたいくらい好き。
 原曲も好きですが、私はこれらの楽曲にこのTTTから入ったのでこちらの方が馴染んでいるのかも知れませんね。原曲もこのアレンジのどちらも素晴らしいと思います。個人的な好みです。

 

 あと3人の演奏が私が聴いた時よりも上手くなっていたことにも感動しましたよ……。
 副音声で坂本くんが「この演奏聞かされたお客さんはどう思ってたんだろうね」と仰っていましたが、三人の演奏の時だけ『発表会を見に来た親の心境』でした。それ以外は『噂通りに実力のある歌と演技を観に来た平凡な観客』です。
 デビューから20年以上経つ彼らに対しては歌と踊りとお芝居に成長点よりも安定さを求めているので、そこ以外で新たに彼らが挑戦したモノには「40歳を越えても新しく始めることが出来るんだな」と逆に新鮮な気持ちでしたし、DVDの成長した姿を見ることが出来て嬉しい限りですよ(´;ω;`)
 ホルンが『世界一難しい楽器』と呼ばれている事も副音声で初めて知ったので、すっかりホルンがオブジェと化した長野くんに対し、他2人はたまに吹いてると言うのが「ああ、大変だったんだなぁ」と心底思いました。

 

 

 さてさて、ここから物語の考察です。

 

 観劇した際には、私は3人の未来ついてこう考えていました。

・三池→今度は『プロ』と自負して画家としての道を再び歩き始める
・由利→妹(サエコ)の死を乗り越えて、再び大学で研究を続ける
・長谷川→三池の描いた肖像画の通り、今後も自分が真っ白のまま生きる

 これは以前の観劇レポにも描いた事ですが、三池の描いた長谷川の似顔絵が『何も描かれていない真っ白』の状態であることが見て取れた位置の席でした(ちょうど三池から長谷川が受け取ったところでチラ見え)
 もうその衝撃に頭が一杯になってしまったので私は長谷川を『もう二度と成長しない赤ちゃんみたいな空っぽな存在』と見ていたのですが、DVDで話を見返し、副音声の内容を聴いた上で「いや、これ違うな……」と。

 あれを『真っ白』『何も描かれていない』という解釈では足りないのでは?と感じたのです。

 副音声で「この似顔絵が白紙なのかどうなのかは結局謎」と言われていますが、明言されなかった以上受け取り側に解釈の余地があると考えまして、そこから疑問を突き詰めて『似顔絵は観客には白紙のように見えている』という仮定で話を進めます。

 つまり、私達には見えないけれどもあのスケッチブックには三池が長谷川の似顔絵を描いている状態とします。


 この前提からもう一度ストーリーを見返したところ、このような見方になりました。

・三池→冒頭の『坂本』に戻る(物語の終焉により記憶が消去)
・由利→冒頭の『長野』に戻る(同上)
・長谷川→自分が『井ノ原』であった事を思い出す

 なぜそう思ったのかと言う説明の前に、この解釈では【三池も由利も長谷川も、井ノ原が創り出した人物】であり、『迷いの病の世迷い言』だけでなく【舞台の物語自体を井ノ原が作ったもの】だと解釈しています。
 そしてこの『井ノ原』は、冒頭で『坂本』と『長野』と会話をしている井ノ原です。もちろん私達が住むリアル世界のイノッチでも坂本くんでも長野くんでもありません。

 

 この舞台の物語は長谷川が井ノ原であった事を思い出すための物語であり、井ノ原が自分を忘れる度にループしています。
 それも『彼女』との関係性が明らかになったラストシーンの感動をぶち壊すもので、三池と由利にとっては非常に残酷かつホラー的な結末なのではないかと。

 そう思ったのはバーでマスターに読ませた手紙』に、もう1つ意味があるのではないかと考えたからです。

 マスターが読んだ手紙については、後々に記述します。

 

 

 以上を踏まえて拙いながら説明していきます。
 以降、便宜上劇中の3人を『坂本(三池)』『長野(由利)』『井ノ原(長谷川)』、リアル世界の3人は『坂本さん』『長野さん』『イノッチ』と分けて称します。彼女(妹)も便宜上『サエコ』と称します。


【冒頭】

 3人で『最近戸惑ったこと』について語っているのですが、3人のセリフをよく聴くと井ノ原が「坂本くん」「長野くん」と呼んでいるのに対して、2人は互いを1度も呼び合いません。そして、井ノ原に対して「井ノ原」とも「イノッチ」とも呼ばない。
 それでも、彼らは自分たちが「坂本くん」「長野くん」と呼ばれていることに対して疑問を持っていません。つまり、自分が『坂本』『長野』だという自覚をもっており、井ノ原のことを最初から『長谷川(ハセッチ)』と認識しているようです。
 他にも坂本と長野は『手紙には良い思い出がない』という本編の内容を無意識に触れ、さらに『自分が一人であるとは言い切れない』と言い放っています。

 この時点で既にループのネタバレになっていると取れるのですが、何せ3人の名前がリアルの3人、特にネクジェネ公開録音みたいな雰囲気で始まるので、トニセンファンである観客はこれを『リアル世界のトニセンだ』と認識します。
 これこそがまず最初の認識違いで、もうこの時点で『坂本』『長野』『井ノ原』になっている冒頭であるとは気付かないのだと思いました。

 

 つまり、この坂本と長野も井ノ原が脳内で作り上げた人物です。

 彼らは「自分もイノッチだ」と主張しますが、それは「いつも祈ってるから『イノルッチ』」「性格が猪突猛進だから『イノッシシ』」と付けられたあだ名を省略変形したものだと。

 まずあだ名は本名ではない。他人もしくは自分によって付けられた仮の呼び名。さらに言えば本名も自分と他人を区別する呼称ですが、同姓同名が存在する以上必ずしも「1人しかいない」とは言い切れない。

 自他という境界線の曖昧さ、不安定さをこのシーンで表現しているとするならば、これは井ノ原が恐れている人格喪失症の症状を表した無意識なのではないでしょうか。

 夢の中に登場する人物が話す内容は、自分の深層心理を反映しているとも言われていますし、この坂本と長野はそんな井ノ原の心理を代弁していると考えています。


【スタジオ・サーティスリーで3人が出会う】

 何者かから受け取ったメールの指示通り、倉庫のようなスタジオに現れる3人ですが、劇中で「あのメールを送ったのは長谷川だったんじゃないか!?」と2人は気付きます。
 けれど、それはおかしい。
 3人が出会ったのは半年前、となっていますが、その時点で長谷川がどうやって2人のメールアドレスを手に入れたのか?
 半年前とはつまり、サエコが自分の病を宣告されて三池と再会し大恋愛した後に長谷川へ依頼をしに行った時期と重なるのですが、彼女の想い人が三池であり、兄が由利であることは依頼人であるサエコから伺えたにしろ、メールアドレスまでをもただの代筆屋であり、彼らとも親交の無かった長谷川が知る由もありません。


 そしてこの出会いにて三池は自己紹介、由利は三池からの他者紹介として人物が浮かび上がるのですが、長谷川は自分自身から「長谷川」とも「ハセッチ」だとも一言も言っていない。どちらの呼称も三池の「長谷川君じゃない?」と、由利の「ハセッチじゃない?」という言葉を言われ考えてから「そうでした」「多分そうです」と返しています。

 ここで三池が「この時はまだ、長谷川の症状は出たり出なかったりでした」と言っているのですが、この状態は『出たり出なかったり』と言うよりも、完全に『自分自身が誰なのか分かっていない』状態です。

 三池のセリフ通りに『病気の症状』と最初は解釈していたのですが、『”長谷川”と認識させられて人格が作られた瞬間』と解釈すると『長谷川幸彦』の実在にも疑問が出てきます。

 

 ちなみに、由利に至っては登場した時に三池からの他者紹介以上の情報がない。

『由利』という名前と『2人と同じ高校で三池と同学年』という事しか、三池のセリフでしか語られていません。特にフルネームないのもおかしい。三池と長谷川にはちゃんとあるのに、何故1人だけフルネームがないのか。

 この物語を作った井ノ原にとって『由利は三池の副産物であり、進行上必要なキャラクター』に過ぎない可能性が高いです。 

 

 さらに長谷川と由利がフリューゲルホルンとホルンを演奏できるのかという謎。

 三池は学生時代に楽器をやっていたと説明がありますが、この2人に関しては全く情報がない。長谷川がサエコが好きだったので楽譜を持っていた、というのは分かりますが、吹奏楽をやっていた訳でもないのにわざわざ金管楽器で演奏しますかね……?

 同じく『世界一難しい楽器』と呼ばれるホルンで、初見の楽譜を見て演奏するという由利。三池に説明があって由利にないのはそもそもおかしい。

 この時点で由利には『サエコの兄』という設定しか与えられていなかったのかもしれません。

 
 つまり、このシーンは3人が出会っている様子に加えて『三池』『由利』そして『長谷川』が創り出された瞬間を表現しており、物語を作った井ノ原がキャラクターと設定を固めている状態だと捉えることが出来ます。
 『舞台』に『役者』が降り立つように。だから『スタジオ・サーティスリー』という名前だったのかなと。


【三池と由利がバーに閉じこめられる】

 ここで由利は、冒頭で井ノ原が語っていた「トイレの宇宙空間」の話を無意識に思い出し、二度目に開いたトイレの中の様子を言い当てます。

 それらを踏まえて、由利は「オレ達はハセッチの小説の中に迷い込んでいる……? もしくは、オレ達はもともとハセッチが作り出した登場人物にすぎない……?」と推測します。
 しかしそれは三池に「信じたくもない」と言われ、由利自身も自分が物語の人物だとは信じたくなかった(この時三池に「(この二択の)他にはないのか?」と聞かれて「ない」と断言している)
 結果的に由利は自分達が『物語の空間にいる』ことへ色々と仮説を立て、集合的無意識の力に基づいてここから脱出しようと三池に説明と説得をします。

 ちなみに「いいや、もうやめた。辞表を書いたんだ」と言って三池に「現実逃避はやめろよ!」と返されていますが、この時の由利の表情が意味深です。

 この時点で由利は、自分(と三池)が物語の登場人物だと感づいたのでしょう。なぜなら、ここから脱出するためには自分である『由利』が知識を総力して論理を組み立てなければならないから。
 論理的に自分を律することが到底無理な三池に対して、なぜ自分が『ここに存在しているのか』ということと、三池に行動の権利が与えられていることにも由利は気付いています。なので、集合的無意識の説明に三池が「?」という状態であっても決して呆れたりせず「うん」と流して根気よく説明をしているのではないでしょうか。

 つまり三池と見ている私達も、彼らが『長谷川の小説に迷い込んでしまっている』と解釈せざるを得ないほど、そして由利自身が「信じなければ」と自分自身に言い聞かせなければならないほどに、彼らの現実に意味と存在の証明が出来ない『小説の登場人物』状態であったと言うことです。

 副音声で「稽古中はもっと真面目にやってた」という言葉の通り、本来ならば笑うようなシーンではないのですが、どうしても我々『トニセンファン』には坂本くんと長野くんのこれまでの姿がチラつくので仕方ありません。

 

 ここで前者の『小説に迷い込んでいる状態』だけならば、ラストシーンは2人(と長谷川)にとって救いと未来のあるお話です。

 しかし、井ノ原が書き残してしまった『マスターに読んでもらった手紙』の存在によって、後者の『物語の登場人物にすぎない』という由利の推測が実証されてしまう訳です。

 

【ラストシーンで似顔絵を見た長谷川】

 まず、長谷川を描く三池へ「おいおい、それじゃあ……」と言いかけた由利のセリフについて考えます。

 このセリフを言った後、三池に「黙れ」と言われて固まる由利ですが、視線は三池ではなく描かれているスケッチブックにあります。その後「言葉にされたらこの絵は自由を失う」と言う三池に「……そうだな」と返します。
 ここで私は最初に「真っ白な絵に対して文句を言うな」と三池が言っているのかなと思ったのですが、もしかしたらそうではないのかな、と、由利のその後の視線や表情を見て考え直しました。
「黙れ」なんて言われたら、普通ならまず言った本人の顔色を伺います。けれども由利の視線は三池ではなくスケッチブックを驚いたように見つめている。そして由利はその後、先ほどまでとは明らかに違う表情で長谷川を見つめます。
 つまり、由利は三池が描いた似顔絵を見て何か『信じたくない出来事』を知ってしまった。同じくそんな内容を一心不乱に描く三池も、その内容に対して気付いていない訳がないのです。

 三池は長谷川に対してどんなインスピレーションを抱いたのか。
 他の対象者はパッと見てパッと描き出していたのに対し、三池は長谷川を驚いたようにしばらく見つめます。その後、長谷川に絵を渡すときの三池の表情。「……どうだ?」と言う時の表情は、とても不安そうに見えます。
 そんな不安を押さえつけるように描いているのは、三池の元にたどり着いたサエコからの手紙の追伸に書かれていた「真の芸術は美しいばかりではなく、むごく残酷なものでもあると思います。どうかそのむごさに勇気を持って向き合って下さい」という言葉ではないかと。

 そう、三池はむごく残酷なものに勇気を持って向き合った。

 ……さて、彼らにとって『むごく残酷なもの』とは、一体なんでしょうか。
 答えは閉じこめられたバーで出ています。

 何が描かれていたのかは想像でしかありませんが、由利が突っ込もうとしていた理由を考えると、三池が『似顔絵として』描きそうにないものだと言うことが推測されます。なので阿修羅像は考えにくく、『作中に登場した誰か(何か)』もしくは『絵ですらない文章』だったと思います。

 
 そして、三池が描き終えた似顔絵を見た長谷川は、しばらく固まった後に「……ああ……これがボクだよ」と呟きます。
 観劇当初、オルゴールと共に入っていた手紙に書かれていた『彼の絵はもしかすると、人の未来を描き出しているのではないだろうか』という部分を覚えていて「ボクは今後も真っ白で空っぽな人間なんだ」という意味で言っているのだと思いました。
 けれどもそうではなく、そこに私達が見えない似顔絵を見て呟いた言葉なのだとしたら――?

 

 このお話をご覧になった方は、この状況が綴られた文章をこの劇中で聞きませんでしたか?

 そう、最初に書きました、三池がバーでマスターに読ませた『届いた手紙』。
 この内容をもう一度見直してみて下さい。
 この手紙、長谷川の似顔絵を描いた三池に対して宛てていても意味が通じます。
 もっと言うと、これを書いたのは長谷川ではなく井ノ原だと解釈するとゾッとしました。

 つまり手紙の内容のごとく長谷川は三池の描いた似顔絵を見て、雷に打たれたように鮮やかに記憶がよみがえって「自分は井ノ原だ」ということを思い出した。それがこの『戸惑いの惑星』の終焉であり、以降はまた冒頭で3人が会話をする場面に戻ります。

 これは『話せば今の幸せが逃げていってしまいそうな気がして』という部分に集約されていて、これは『このまとまった話のオチに水を差してしまいそうで』と置き換えれば意味が通じます。

 つまり、先ほどの由利が提示した前者のストーリーだけではない、後者の事実も存在しているという示唆ではないでしょうか。

 

 そして何より、長谷川がこの手紙を書いた後「そしてまた1つ、自分を失った」と言っています。

 この失ったとされる人格こそ、井ノ原だった。

 そうするとこの手紙は『長谷川が三池に書いたサエコの代筆』でもあり『井ノ原が三池に書いた本心の手紙』という、ダブルミーニングを持った手紙だったと言えるのではないでしょうか。

 後者の意味は、まるで小説の後書きやシステムエンジニアがコードの中に隠したお遊びのようにも取れます。(内容は全然お遊びじゃない)

 バーに閉じ込められたシーンで三池がこの手紙を「今は手元にないが」と言い、証言者であるマスターも消えてしまっています。これは観客があえて再び触れないようにという配慮で、デバッガーのごとく何度も劇場に足を運んで観劇するか、DVDを見直さない限り発見できない意味だと捉える事ができます。

 

 このように、この解釈でいくとこの舞台は最初から長谷川が井ノ原であることを思い出す物語だった。

 冒頭でもあるように、井ノ原は自分が誰であるのか分からなくなってしまい、そして自分が何者なのかを長時間覚えていることが出来ません。それが人格喪失症の症状であることは明らかです。
 そこで井ノ原は、記憶を失った自分が誰かを思い出すために物語を書き始めた。

 おそらく、長谷川の幼少期~高校時代、そして代筆屋を始めた経緯までは井ノ原の記憶通りなのでしょう。

 それはある意味自伝記のようなものですが、ただそれを記して「だからボクは井ノ原だ」という内容では説得力がない。というよりも、127本も物語を書いてきた井ノ原だからこそ、物語として記さなければならなかった。
 そのために『三池』と『由利』というキャラクターを作り上げ、設定を付与し『サエコ』を中心とした関係として物語の中に存在してもらい、物語を読み進めるうちに自分は主人公の『長谷川』となっていく。

 つまり井ノ原は自分自身を忘れる度にこの物語を読み返して『長谷川』となり、ラストシーンで三池に似顔絵を描いてもらって『井ノ原』であることを思い出す。

 似顔絵を描いてもらっている間に長谷川が「君に絵を描いてもらうのは初めてじゃないような気がするよ」と言って三池に「それは気のせいだ」と返された後、「……そっか、あれはボクじゃなかったね……そっか、そっか……」と呟いてるのは、これは以前にも同じようにループした物語の世界で三池に描いてもらった時の記憶だと解釈できます。

 

   これらを踏まえると、手紙に書かれている『私には別の人生がありました。その人生にあなたは存在していません』から、最後が「ごめんなさい。さようなら」で〆られるなんて、三池と由利にとってはあまりにも残酷だと思いました。

 冒頭で坂本が語る占いの話で「運命が最初から決められていたら」という結末なのですから。

 それを信じたくないから無意識に『2人は長谷川の小説に迷い込んでしまっただけ』と思い込みたい。そんな心理を的確に突いたのがこのTTT『戸惑いの惑星』だったのではないでしょうか。

 

 

 

 長々と書きましたが、こうして考察だと称して書いてみると考えたことが上手く説明出来ていない部分が多いと感じますし、それは深読みしすぎではと思う部分も多々あります。(元々感覚派なので……)

 もしこんな裏があったら怖いわという恐怖心半分と、ニワカがこんな風に解釈しちゃってすみませんという恐縮の気持ち半分で書きました。本当にすみません……。

 ですので、この解釈が完璧に正しいとは全く思っていません。特にマスターが読んだ手紙も『気がつけば~トロンボーンを聴いていました』という部分についての説明はまだ出来ません(サエコ=井ノ原なのでそりゃ聴いてただろうけど、上手く説明できない)

 それもこれもパンフレットや《初回盤》のパッケージである赤黒デザインを最初に目にした時に「『戸惑いの惑星』ってホラー系の話なのかな……?」と思ったことが引っ掛かったのもあり、長谷川の似顔絵についての明言がされなかった事から湧いた疑問や考えを広げていった結果です。

「いやただのオシャレデザインですよ」と言われたらそれまでなのですが、このTTT内で『赤と黒』がイメージカラーとしてどうしても思い浮かびませんし、3人とも赤と黒には無縁なのでキーカラーと言われても納得出来ない。「いやただのオシャレデザインですよ」と言われたらそれまでなのですが(二回目)

 最初に観劇したときの印象も『戸惑いの惑星』のイメージはポストカードやオルゴールのデザインのような、天体や宇宙の青系だったので「何でこんな地獄みたいな惑星なんだろう……」と困惑していたのです。

 それが、こんな裏の意味もありますよという示唆だったのなら「ループ世界なんて確かに地獄だな!」と思えますし、「いやただのオシャレデザインですよ」と言われたらそれまでなのですが(三回目)

 何にせよこんなにもトニセン要素を盛り込んだ上で素敵な脚本を書いて下さったG2さんには、ファンとして感謝しかありません。このような辺鄙なブログから失礼致しますが、本当にありがとうございました……!『戸惑いの惑星』に出会えて本当に良かったです(´;ω;`)



 パッケージと言えば《通常盤》はちょっとファン以外手を出しにくい。むしろファンも手を出しにくく、半裸のトニセンがババーンと写っているパッケージを持ってレジに向かうという羞恥プレイがイベントとして起きるのはハードルが高かったです(;´Д`)
 数年後も店頭に並び続けるのが半裸のトニセンというのが結構心臓に悪い。何故逆にしなかったのだろう……
 あっいやいや、トニセンの半裸がヤバイというのではないですよ!?むしろ脱いでくれてありがとう!と感謝の気持ちの方が多いですが、この半裸が店頭にずっと並ぶのを毎回目にするだろうと考えるとドキドキしてしまうのです。
 半裸のトニセンに興奮しない冷静な心と、それを店員さんに差し出す事を躊躇しない鋼の心を持たねば……って、これはエ口本か何か……????

 

 ちなみに副音声で声出して一番笑ったのが「ポンセファミスタの話」でした。

 なんでトニセンが語る過去の方のお名前ってあんなに面白いんだろう……ネクジェネでもたまに車とかの話してますけど単語を聞く度にめっちゃ面白い。平成生まれで何か分からなくてもすごく笑います。昭和~バブル時代の単語の力すごくない……?

 あとDahliaで演奏に集中しすぎて身体が硬直している長野くんを見て坂本くんが「これ、長野が好きなのよ」と突っ込んだ後に「それどころじゃない」と返す長野くんの部分も本当に好き。てか急に告白したのかと思ってちょっとビックリしたけどね!

 

 そしてそして、このTTTがオリコンのDVD総合ランキングへ初登場1位に加え、2/26付けDVD総合ランキング週間1位という快挙を成し遂げていました……!おめでとうございます!!!(∩´∀`)∩*:.。..。.:*・゚

 こんな考察(と言えるのか?)をチマチマ書いているうちに大変めでたい情報が入ってきて、とっても嬉しかったです。

 本人達も「TTTを続けたい」と仰っておりますが、一ファンとしても次回、いやいやもっと言えばTTTの長年継続を心から願っております。トニセンのライフワークになるといいな~!!

 次回のTTTも楽しみにしつつ、それまでは戸惑いの惑星の住人でいたいなと思いました。

 

 

 拙文をお読み頂き、ありがとうございました。